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土門拳賞の歴史と全受賞写真家 |
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「土門拳賞」とは、1981年に毎日新聞社により創刊110周年記念事業の一つとして制定されました。
現在では「木村伊兵衛賞」と並び、写真界で最も権威のある賞となっています。
「木村伊兵衛賞」が新しい写真表現を開拓した若手のアート的作品に贈られるのに対して、「土門拳賞」は、リアリズム運動を提唱した土門拳の意思を反映して、最も優れたドキュメンタリー作品を発表し長年にわたって功績のあるベテラン写真家に送られる賞という位置づけになっています。
また、複数の受賞者がいる場合もある「木村伊兵衛賞」に対して、「土門拳賞」は毎年一人となっています。
左に紹介している写真集は、「土門拳賞」を主催している毎日新聞社より出版されています。
この中には、リアリズムを提唱した土門拳の生涯の写真がまとめられており、土門拳入門的なものとなっています。また、「土門拳賞」の歴代の受賞者が、「私と土門拳」というテーマで、土門拳に対する思いを語っています。
「土門拳賞」に興味をお持ちの方は、ぜひご覧ください。
<-詳細、ご購入は左側のタイトルをクリック!
以下に歴代受賞者とその代表作を紹介します。 |
第1回 (1982年) 三留理男 (みとめ ただお) 「ケニア飢餓前線」、「アコロ」、「国境を越えた子供たち」 |
1938年、朝鮮生まれ。
日本大学芸術学部中退。
アジア・アフリカを中心に活動するドキュメンタリー写真家です。
「辺境の民」で第9回アジア・太平洋賞特別賞も受賞しています。
10年以上にわたって第三世界の国境線上の人々を取材し続け、発表した作品が認められての受賞です。 |
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第2回 (1983年) 内藤正敏 (ないとう まさとし) 「出羽三山と修験」 |
1938年、東京生まれ。早稲田大学理工学部卒業。
写真家として活動するほか民俗学者としても有名で、民俗学研究の論文も多数発表しています。現在は東北芸術工科大学の教授です。
日本写真協会年度賞なども受賞しています。
恐山・遠野・浅草・出羽三山など民間信仰の根付いた土地で、あの世とこの世の間に存在する人達と風景を長年にわたって撮影したことに対する受賞です。
民俗学的な視点から日本人の根源を探ろうとしています。 |
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第3回 (1984年) 野町和嘉 (のまち かずよし) 「バハル」、「サハラ悠遠」 |
1946年10月15日高知県生まれ。
1972年からサハラ砂漠、ナイル川、シナイ半島を長期間にわたり取材してきました。
過酷な気候と宗教が根付いた環境で力強く生きる人々を撮影し続けました。
最初の写真集「サハラ」(1978年)は、日、英、仏、独、伊の5ヶ国で同時出版され、そのスケールの大きい作風は、世界各国で高い評価を得ました。
サハラ、エチオピア、中東などでの長年にわたる取材とその優れた作品に対しての受賞です。 |
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第4回 (1985年) 江成常夫 (えなり つねお) 「シャオハイの満州」、「百肖像」(毎日グラフ連載) |
1936年、神奈川県生まれ。毎日新聞を退社後フリーとなり、日本人の家族をテーマにした作品で第27回日本写真協会新人賞受賞。
その後渡米。アメリカに在住する戦争花嫁を取材した「花嫁のアメリカ」をアサヒカメラに連載し第6回木村伊兵衛賞を受賞。
1981年に中国を訪問。その後、満州の戦争孤児たちを取材した「シャオハイの満州」、毎日グラフに連載された「百肖像」が認められ第4回土門拳賞を受賞しました。
木村伊兵衛賞と土門拳賞のダブル受賞者です。 |
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第5回 (1986年) 新正卓 (あらまさ たく) 「遥かなる祖国」 |
1936年、東京都生まれ。武蔵野美術学校卒業。78年に日本写真協会新人賞、96年に日本写真協会年度賞受賞。
1980年に満州で別れた肉親との35年ぶりの再会をきっかけに、母国を離れて暮らす人々の取材を開始しました。そのうち、南米各国にすむ日本人移民のポートレートを、大型カメラで撮影したこの作品が評価されての受賞です。 |
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第6回 (1987年) 管洋志 (すが ひろし) 「バリ・超夢幻界」 |
1945年福岡市生まれ。67年、日本大学芸術学部写真学科卒業。
ドキュメンタリーから食の分野まで、雑誌などを中心に幅広く活躍しています。
もはやライフワークとなっているアジア各国の取材は、生活や風土といった民族学的な価値も高い作品となっています。 |
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第7回 (1988年) 西川孟 (にしかわ たけし) 「北京の看板」(ひと・もの・こころシリーズ)、「甲骨文字」 |
ひと・もの・こころシリーズ「北京の看板」や「甲骨文字」で、精力的な中国での取材活動と、その洗練された作風が評価されての受賞です。
1985年に日本写真協会年度賞受賞。 |
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第8回 (1989年) 津田一郎 (つだ いちろう) 「奥の細道」(無明地帯シリーズ) |
1942年北海道生まれ。中央大学経済学部卒業。
人間の内面を独特の不気味さが漂う映像で表現する「無名地帯」シリーズ。
そのうち、松尾芭蕉の奥の細道をテーマに、まるで幻覚のようなスナップショットを創り出した写真集「奥の細道」が評価されての受賞です。
87年に第12回伊奈信男賞受賞。 |
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現在取り扱っておりません。 |
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第9回 (1990年) 宮崎学 (みやざき まなぶ) 「フクロウ」 |
1949年、長野県生まれ。中央アルプスという動物写真家にとっては恵まれた環境を活かして、自然と人間との関わりをテーマに、社会性の強い動物写真を撮り続けた成果に対しての受賞です。
特に、この写真集「フクロウ」においては、ハイテクを駆使した斬新な手法で、新しい分野を開拓したと言われています。
他に、1982年「鷲と鷹」で日本写真協会新人賞、1995年「死」で日本写真協会年度賞、「アニマル黙示録」で講談社出版文化賞受賞。
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第10回 (1991年) 十文字美信 (じゅうもんじ びしん) 「黄金風天人」 |
1947年、神奈川県生まれ。篠山紀信氏に師事。
1990年に写真集「黄金風天人」を発表。8年の歳月をかけて日本の黄金美術を取材し続けた成果に対しての受賞です。
1977年、日本写真協会新人賞、1980年、伊奈信男賞受賞。 |
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第11回 (1992年) 今枝弘一 (いまえだ こういち) 「ロシアン・ルーレット」 |
1963年、愛知県生まれ。
フォトドキュメント集「ロシアン・ルーレット」で、ソ連崩壊という歴史の一場面を6回の現地取材を通して、独自の視点でリアルに記録し追い続けたことに対しての受賞です。
最近では池田小事件のルポルタージュを発表するなど、硬派なジャーナリストとしての活動も行っています。 |
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第12回 (1993年) 長倉洋海 (ながくら ひろみ) 「マスード 愛しの大地アフガン」 |
1952年、北海道釧路市生まれ。
80年より中南米、中東、アフリカなどの紛争地を取材。その過酷な環境の中で生きる人々に注目し続けてきた。
写真集「マスード 愛しの大地アフガン」などにおいて、イスラム・ゲリラと共同生活をしながら9年間の長期にわたる取材により、アフガン紛争を濃密なドキュメントとして発表したことに対する受賞です。
2000年、日本写真協会年度賞を受賞。 |
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第13回 (1994年) 南良和 (みなみ よしかず) 「秩父三十年」 |
1935年、埼玉県生まれ。
埼玉県の山間の町、長瀞(ながとろ)町で写真館を営むかたわら、50年代から秩父の暮らしや農業の変化を記録し続けました。
その集大成として、写真集「秩父三十年」を発表。1950年代から90年代にかけての農村の生活を通して、日本が歩んだ経済大国化という歴史を、そこに投影させています。
1978年、日本写真協会年度賞、1996年、第21回伊奈信男賞受賞。 |
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第14回 (1995年) 鈴木清 (すずき きよし) 「修羅の圈(たに)」 |
1943年、福島県いわき市生まれ。69年カメラ毎日「シリーズ・炭鉱の町」でテビューして以来、看板描きを本業としながらフォトグラファーとしての活動を続けています。
この写真集「修羅の圏」は、炭鉱労働者だった祖父が住んだ北上の水沢銅山跡と足尾銅山、母親が工員をしていた東京・墨田区の鐘ケ淵紡績工場跡、そして自身の起点である常磐を4年かけて巡った自分探しの旅を、映像による自伝として編んだものです。
83年に日本写真協会新人賞、92年に第17回伊奈信男賞を受賞。 |
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第15回 (1996年) 砂守勝巳 (すなもり かつみ) 「漂う島とまる水」 |
1951年、沖縄生まれ。フィリピン人の父と奄美大島出身の母の間に生まれますが、父はフィリピンに帰国し母は15歳の時亡くなってしまいます。その後大阪に出てプロボクサーを目指しますが成功せず、キャパレーなどで働きながら写真家を志しました。
写真集「漂う島とまる水」では、太平洋戦争によって暗い過去を背負った沖縄や奄美、マニラと、自らのルーツをたどる旅を通して、戦争や米軍によって異質なものへと変化した沖縄の本質を描き出そうとした作品です。
96年に日本写真協会新人賞受賞。 |
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第16回 (1997年) 須田一政 (すだ いっせい) 「人間の記憶」 |
1940年、東京生まれ。
1967年から演劇実験室「天井桟敷」(寺山修司主宰)の専属カメラマンを務める。その後フリーとなり、76年「風姿花伝」で日本写真協会新人賞、83年に写真展「物草拾遺」などより日本写真協会年度賞を受賞。
写真集「人間の記憶」は、不気味ささえ感じられる人物スナップが中心の写真集です。何気ない日常の光景を、独特のフィルターを通して撮影することで、現代日本を一面を浮き彫りにしています。 |
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第17回 (1998年) 本橋成一 (もとはし せいいち) 「ナージャの村」 |
1940年、東京生まれ。
九州・北海道の炭坑の人々を撮影した作品によって68年、第5回太陽賞を受賞。
1991年に事故から5年たったチェルノブイリに入り、汚染地区に生活する人々を撮影した「無限抱擁」で、日本写真家協会年度賞、写真の会賞を受賞。
その後、汚染地区に生活する8歳の少女ナージャを中心に取材した写真展「ナージャの村」を開催、同名の映画も監督した。この作品では、汚染地区を「死の場所」としてとらえるのではなく、広大な自然が育む「いのちの大地」として描かれています。そのことが逆に原発事故の悲惨さを強調しているように感じます。 |
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第18回 (1999年) 水越武 (みずこし たけし) 「森林列島」 |
1938年、愛知県豊橋市生まれ。
東京農業大学を中退後、26歳から写真を始め、アラスカ、ヒマラヤ、ボルネオなど山岳を中心とした自然写真を撮影し続けています。
日本列島は、亜熱帯から亜寒帯にいたる複雑な気候条件であり、地形も変化に富んでいるため多種多様なな生態系が展開しています。写真集「森林列島」では、単なる自然保護ではなく、学術的な見地から日本列島の豊かな森林が記録されています。
1991年、第41回日本写真協会年度賞受賞。 |
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第19回 (2000年) 金村修 (かねむら おさむ) 「PARACHUTE EARS,1991-1999」 |
1964年東京都生まれ。1993年東京綜合写真専門学校卒業。
1997年「MOLE UNIT No.4 Crash landing」と「京浜マシンソウル」で第47回日本写真協会新人賞と第13回東川賞新人賞を受賞。
写真をモザイク状に壁に張り付けた、独特の“金村ワールド”を展開した写真展「BLACK PARACHUTE EARS, 1991-1999」が認められての受賞です。 |
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第20回 (2001年) 大石芳野 (おおいし よしの) 「ベトナム凛と」 |
1944年、東京生まれ。
日本大学芸術学部写真科を卒業後、フリーランスのドキュメンタリー写真家として活躍。現在、東京工芸大学芸術学部教授。82年に「無告の民」、89年に「夜と霧は今」で日本写真家協会年度賞を受賞。
写真集「ベトナム凛と」は、枯葉剤など戦争の後遺症がなお続くベトナムで毅然として生きる人々を、たくましく美しく描いた作品です。写真集の成果が認められての受賞です。
なお、土門拳賞では初の女性の受賞者です。 |
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第21回 (2002年) 百瀬俊哉 (ももせ としや) 「東京=上海」 |
1968年、東京生まれ。
九州産業大学大学院芸術研究科修了。2000年、日本写真協会新人賞受賞 。
受賞作の写真集「東京=上海」では、無機質な都市を鮮烈な色彩と緻密な構図によって「からっぽの風景」としてとらえ、オリジナリティーあふれる世界を作り出しました。
2000年、日本写真協会新人賞受賞。 |
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第22回 (2003年) 広川隆一 (ひろかわ りゅういち) 「写真記録 パレスチナ」 |
1943年、中国天津市生まれ。2歳で日本に引き揚げ、早稲田大学卒業後は中東やチェルノブイリの取材を精力的に行います。特にパレスチナにおいては35年以上にわたって活動し続け、2003年に「写真記録 パレスチナ」で土門拳賞の他に日本写真協会年度賞も受賞しました。
悲惨な戦場と子供の笑顔や人間の美しさを対比させることで、人間の尊厳や戦争の無意味さをいっそう際立たせています。
雑誌「DAYS JAPAN」を創刊し、現在編集長として活動中です。 |
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誠に申し訳ありません。
現在取り扱っておりません。 |
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第23回 (2004年) 鬼海弘雄 (きかい ひろお) 「PERSONA」 |
1945年山形県寒河江市生まれ。
高校卒業後、山形県職員を勤め、その後法政大学に入学。卒業後、フリーカメラマンとなるまで、トラック運転手や職工、マグロ漁船員という異色の経歴を持っています。「東京の光景」「浅草のポートレート」「インド」という3つのテーマを軸に写真活動を続けていますが、土門拳賞を受賞したのは、30年間撮り続けた浅草のポートレート「PERSONA」です。
浅草寺の朱塗りの壁の前で通りかかった個性的な人々を写したコレクション法の典型的な作品ですが、補足的に添えられているコメントがユーモアにあふれていて非常に面白いです。
88年、日本写真協会新人賞、伊奈信男賞受賞。 |
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第24回 (2005年) 坂田栄一郎 (さかた えいいちろう) 「PIERCING THE SKY − 天を射る」 |
1941年東京生まれ。65年日本大学芸術学部写真学科卒業。ニューヨークで写真家リチャード・アベドンに師事。88年の週刊誌「アエラ」創刊以来、表紙ポートレートを撮影していることでも有名です。
この作品は、著名人の白黒ポートレートとカラーの自然写真を組み合わせて構成されており、人間と自然との共生を表現しているように感じます。
モデルは、渡辺貞夫(ジャズミュージシャン)、フィデル・カストロ・ルス(キューバ国家評議会議長)、ヒクソン・グレイシー(格闘家)、ダライ・ラマ法王14世(宗教家)、吉田美和(シンガー)、石元泰博(写真家)、室伏広治(陸上選手)、イアン・ソープ(水泳選手)、シャルル・デュトワ(指揮者)、エマ・トンプソン(女優)など、アーティストを中心に多彩な顔ぶれです。 |
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第25回 (2006年) 内山英明 (うちやま ひであき) 「JAPAN UNDERGROUND III」「東京デーモン」 |
1949年、静岡県菊川町生まれ。
ドキュメント写真を発表する傍らアジア、欧州の都市の撮影を行い、1993年よりTOKYOの未来空間を撮影することにライフワークとして取り組みます。その撮影中に潜った東京の地下世界に惹かれ、地表のワンダーランドとしての都市と日本の地下空間を撮り続けています。
「JAPAN UNDERGROUND III」は、作者が13年にわたり日本の地下世界を撮影し続けてきた「JAPAN UNDERGROUND」シリーズの完結編で、再開発された都市や地下施設などを撮影したものです。また「東京デーモン」は、眠らない都市東京を撮影したもので、都市というものを、夜と地下空間という切り口で表現したことが評価されての受賞です。 |
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第26回 (2007年) 中村征夫 (なかむら いくお) 「海中2万7000時間の旅」 |
1945年、秋田県南秋田郡昭和町(現・潟上市昭和)出身。
独学で写真を学び、ダイビング専門誌のフォトグラファーを経てフリーに。日本の水中写真の第一人者であり、報道写真家でもあります。
また、木村伊兵衛賞を受賞した「海中顔面博覧会」に続いて、土門拳賞とのダブル受賞になりました。
この「海中2万7000時間の旅」は、彼の40年以上にもなる海中撮影の集大成とも言える作品で、生命の根源であり進化の場となってきた海中の生命力と神秘性が表現されています。 |
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